<設計図なしの家づくり>


オートポイエーシスは、みずからの構成素を産出するようなシステムを再産出する構成素が存在すれば、作動を開始し動きつづけます。作動を継続しながら、自己を創出し自己の在り方を決定していくのです。
このようなオートポイエーシスを「コード化」したとき、観察者の位置から捉えられた遺伝システムや神経システムにおける情報コードとの相違をマトウラーナは次のような事例で説明しています。

まず私たちが二つの家をつくりたいと思っているとしよう。
この目的のためにそれぞれ十三名の職人からなる二つのグループを雇いいれる。
一方のグループでは、一人の職人をリーダーに指名し、彼に、壁、水道、電気配線、窓のレイアウトを示した設計図と、完成時からみて必要な注意が記された資料を手渡しておく。
職人たちは設計図を頭にいれ、リーダーの指導に従って家をつくり、設計図と資料という第二次記述によって記された最終状態にしだいに近づいていく。

もう一方のグループではリーダーを指名せず、出発点に職人を配置し、それぞれの職人にごく身近な指令だけをふくんだ同じ本を手渡す。
この指令には、家、管、窓のような単語はふくまれておらず、つくられる予定の家の見取図や設計図もふくまれていない。
そこにふくまれるのは、職人がさまざまな位置や関係が変化するなかで、なにをなすべきかについての指示だけである。

これらの本がすべてまったく同じであっても、職人はさまざまな指示を読み取り応用する。というのも彼等は異なる位置から出発し、異なった変化の道筋をとるからである。
両方の場合とも、最終結果は同じであり家ができる。しかし一方のグループの職人は、最初から最終結果を知っていて組み立てるのに対し、もう一方の職人は彼らがなにをつくっているかを知らないし、それが完成されたときでさえ、それをつくろうと思っていたわけではないのである

最初の例は、あらかじめ組み込まれた情報プログラムを解読することによって、それにそった行為が進行し、やがて設計図通りのシステムができあがるという現在の遺伝システムについての常識的な捉え方ですが、マトウラーナは、このような捉え方は観察者によるものにすぎないと考えました。

オートポイエーシス.システムは、産出プロセスのネットワークであり、産出のプロセス間の関係を一定に維持しているシステムです。
この産出プロセスの関係の維持を、コード化という観点(観察者の視点)より捉えると、コード化されているものは情報プログラムではなく、産出プロセスの関係であり、したがって、オートポイエーシス.システムとしての遺伝システムや神経システムにコード化されるものがあるとすれば、それは二番目の職人グループのような産出プロセスの関係です。

社会や企業組織をオートポイエーティックなシステムと捉えたとき、そこには設計図やリーダーは不要であり、構成者の行為のプロセス間の関係だけをコード化することで自己(オート)制作(ポイエーシス)していくことになります。


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